2014年2月9日。市政50周年を記念して開催された「北九州マラソン2014」金哲彦氏が綴る、故郷北九州へのメッセージ。

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故郷の北九州マラソンを走る

この日ほど、故郷北九州を誇らしく思ったことはない

金哲彦がプロデュース!北九州マラソン動画


この日ほど故郷北九州を誇らしく思ったことはないかもしれない。

この日ほど故郷北九州を誇らしく思ったことはないかもしれない。 二人でハーフずつ走ってフルマラソンを完走する「リレーマラソン」というアイデアも素晴らしかった。タスキは、ペットボトルから再生されたものだ。あえていくつか要望させてもらうと、完走制限時間が7時間でなかっ 大会の雰囲気を決定づける沿道の応援は、ほとんど切れ間なく、本当にすばらしかった。雨にも関わらず傘もささないで声援を送る中高年の人達。子供たちもやや恥ずかしそうだったが、おそらく人生初のハイタッチを楽しんでいた
たこと。途中関門が多く、初マラソンランナーのプレッシャーが大きかったのではなかったかという懸念、そして雨模様の天気だ。
そして、予算編成や道路使用許可などのさまざまな困難を乗り越えここまでこぎ着けた苦労に対し、関係者の労をねぎらった。市長自身、マラソンに詳しくはないかもしれない。しかし、マラソン大会が地元にもたらす効果については十分に研究してきたようだ。 歯に衣着せぬ友人は「北九州らしくない素晴らしさ」とまで言った。
レース前日のレセプションで北橋市長は、5年くらい前から大会を企画した話をしてくれた。 この日ほど故郷北九州を誇らしく思ったことはないかもしれない。
天候はさておき、将来これらがすべて満たされたら100点がつけられる。この日ほど故郷北九州を誇らしく思ったことはないかもしれない。
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「北九州マラソン」が次の50年のスタートになったことは間違いない。

その街に住む人の価値観とパワー、WISH(希望)がロードレースイベントという形で具現化されるのだ。そこは、昔から著名なマラソンランナーを また、得意な生産技術を活用したエコロジー産業への模索や、アジア諸国との活発な交流も始まっている。市民マラソンは、その土地を檜舞台にし地元の人の熱意と結束が作るスポーツ文化だ。 新日鉄の熱い溶鉱炉は、ほんわかしたテーマパークに移行し、鉄道員と工場労働者で活気づいていた門司は、のんびり暮らす高齢者の多い瀟洒な観光地に変身。 レース後の記者会見では、言葉を慎重に選びながらも、大会が大成功に終わったことを好評価されていた。北九州は、僕が住んでいた昔とは明確に変わった。
「北九州マラソン」が次の50年のスタートになったことは間違いない。

「北九州マラソン」が次の50年のスタートになったことは間違いない。自信をもってそう言いきれる大会だった。たくさん輩出してきた土地柄。そして、小倉祇園太鼓や戸畑提灯山笠など、少々荒っぽいお祭りが大好きな北九州市民にぴったりはまっても不思議ではない。

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金哲彦氏 プロフィール

マラソン・駅伝の解説、指導者として活躍は多岐にわたる。


1964年福岡県北九州市生まれ。中学から陸上競技を始め、早稲田大学入学後、無名ながら1年生で箱根駅伝での5区に抜擢され驚異的な走りをみせた。
以降、1985年には同区間で新記録を樹立、早稲田の2連覇に貢献し「山のぼりの木下」の異名をとる。
1986年リクルートに入社後、ランニングクラブを創設。
マラソンでは、1987年別大マラソン3位。
1989年東京国際マラソン3位など選手として活躍後、1992年に小出義雄監督率いる同クラブのコーチとなり有森裕子など、数々のオリンピック選手を指導した。
1995年監督に就任。2002年NPO法人ニッポンランナーズを創設、理事長として新しいスポーツ文化の構想を推進している。2011年度から、エディオン女子陸上競技部ゼネラルマネージャーに就任。
また、テレビやラジオの駅伝・マラソン解説者としても活躍中。


【現在の活動】
プロ・ランニングコーチ、駅伝・マラソン解説者
NPO法人ニッポンランナーズ理事長
エディオン女子陸上競技部ゼネラルマネージャー
東京都スポーツ振興審議会委員
東京マラソン財団理事
早稲田大学スポーツビジネス研究所客員研究員
東京経済大学陸上部アドバイザリーコーチ
ナイキランニングアドバイザー
明治乳業VAAMアドバイザー

金哲彦氏

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